琵琶の系譜と私が立っている場所
系譜という視座
現在、日本に伝わる琵琶にはさまざまな系統があります。その中で、私・盛典が学んでいるのは、平家琵琶と薩摩琵琶正派の二つです。このページでは、私が学んでいる平家琵琶と薩摩琵琶正派、二つの琵琶の系譜とその背景について記載しています。
- 平家琵琶(四絃五柱の琵琶)
平家琵琶は、琵琶の伴奏によって『平家物語』を語る古典芸能です。仏教歌謡に合わせて物語を語ったことが起源とされ、琵琶法師たちによって口伝で受け継がれてきました。現在では、江戸時代に整備された墨譜を用いて演奏されますが、その継承のあり方や伝えられ方については、場所や人によっていくつかの系統や考え方の違いがあります。 - 薩摩琵琶正派(四絃四柱の琵琶)
薩摩琵琶は鹿児島で育まれ、明治維新とともに名人たちが上京したことで広く知られるようになりました。大型の琵琶を大きな撥で力強くかき鳴らし、即興的な旋律を交えながら、大きな声で雄叫びを上げて弾奏します。盛典は、その中でも雅号に「舟」の字を用いる系譜の弾奏を学んでいます。
この二つは同じ「琵琶」という名を持ちながら、形も、音に向かう姿勢も、芸の構造も異なるものです。私は両方を同時に学びながら、自身の表現を育てています。
なぜ系譜を明示するのか
私は、自分の系譜を大切にしています。
- 語っている芸がどこから来たのか
- 誰によって受け継がれてきたのか
- 自分はどこに立っているのか
自分がどの系譜の上に立つ奏者なのかを明らかにしておくことは、これまで芸を守り、伝えてこられた諸先輩、諸先生方への敬意として、きちんと示しておきたいと考えています。
私の系譜|平家琵琶
平曲の譜面は、詞章に沿って曲節が記されており、それに則って平家琵琶の伴奏とともに語られます。そのため、他の琵琶では平曲を語ることはできません。(他の琵琶で演奏される「平家物語」は、物語中の特定の場面を取り上げ、それぞれの琵琶で独自の節を付けた作品です。)
『平家物語』は、平家滅亡後、さまざまな人物や土地で語り継がれ、複数の異本が存在します。その成立には諸説があり、神社や寺院の縁起、土地の伝承、当時の関係者の記憶や記録が積み重なり、やがて一つの物語群として形を成したと考えられています。
一説には、比叡山の慈鎮和尚(慈円)のもとに身を寄せていた藤原行長が執筆を始め、そこに僧侶や関係者の伝承が加えられたとされます。雅楽に通じた行長と、天台声明に秀でた慈円が協力し、物語を語り物として整え、それを生仏に語らせたことが、平家琵琶による語り物としての『平家物語』の起点になったと伝えられています。
こうした経緯から見ても、平家琵琶の起源は単一ではなく、当初から多様な形で琵琶と結びつき、各地で語られてきたことがうかがえます。
生仏の後、如一と城玄が現れ、それぞれ一方流・八坂流を名乗って分派します。南北朝期には名人・明石覚一が現れ、足利尊氏の庇護のもとで平曲は最盛期を迎えます。覚一は音楽的内容を刷新し、その型が後代へと受け継がれたと伝えられています。
江戸時代に入ると、三味線音楽の隆盛に押され平曲は次第に衰退しますが、幕府の庇護によって命脈は保たれました。この時期に学習用の記譜化が進み、名古屋の荻野知一検校による『平家正節』は、前田流の伝承を墨譜で記したものとして知られています。
明治維新後、平曲は幕府の庇護を失い大きな打撃を受けます。前田流は名古屋や仙台の伝承者によって命脈を保ち、戦後には研究者による調査・記録とともに再び注目されました。現在では、名古屋や仙台の系統の奏者・研究者たちによって、学術と実演の両面から支えられています。
言語学者・金田一春彦氏は、仙台の館山甲午氏のもとでの学びに独自の研究を重ね、『平曲考』をまとめました。金田一氏の口伝と研究資料は数人の奏者に引き継がれ、その一人が薩摩琵琶・平家琵琶演奏家の須田誠舟先生です。須田先生のもとでは「伝承者」や「相伝」といった表現は用いられません。(2026年現在も私は須田先生のもとで学びを続けています)
参考演奏|平家琵琶・平曲(須田誠舟)
私が学んでいる平家琵琶・平曲の実例として、須田先生による音声動画を掲載します。
平家琵琶『敦盛最期』
演奏|須田誠舟
時間|33分13秒
▼クリックすると再生されます(音量にご注意ください)
私の系譜|薩摩琵琶正派
薩摩琵琶は、島津忠久公が薩摩に入部する際、盲僧宝山検校を伴い、伊作の常楽院を拠点としたことに始まると伝えられています。以後、盲僧たちは島津家の祭祀や教化を担い、その演奏はやがて藩の士風教育と結びついていきました。
戦国期、島津忠良公(日新斎)は士人修養のために自ら和歌を詠み、寿長院に作曲を命じました。寿長院は桑の胴、凸型の表板、高い柱などを工夫し、現在の薩摩琵琶の形を整えます。また演奏法も、歌の句切れにのみ合の手を入れる方式を定め、士人が歌詞を吟じる際に伴奏できるよう設計しました。
第十七代義弘公は「小敦盛」を作ったと伝えられ、また家久公とともに朝鮮に出陣した際には、兵士の士気を鼓舞するため琵琶を携えたといいます。戦況を詩にし弾奏したことから戦記物が語られるようになり、やがて薩摩琵琶を象徴する奏法「崩れ」が生まれました。
明治期に入り、永田錦心が技巧的な「錦心流」を確立すると、それ以前の古風な薩摩琵琶は「正派」と呼ばれるようになります。正派は古風を守り、技巧を避け、高尚風雅を尊ぶことを理念とし、豪放で自由闊達な芸風を特徴とします。薩摩琵琶は「家元」「宗家」を立てず、各人が尊敬する師の芸を学びつつ、それぞれ工夫を重ねる伝統を持っています。
系譜の一端として、妙寿、児玉天南(利純)、池田天舟(政徳)、辻靖剛(号・東舟)といった名人たちの名が伝えられています。辻靖剛先生のもとで学んだ須田誠舟先生が、私の師匠です。
参考演奏|薩摩琵琶正派(須田誠舟)
私が学んでいる薩摩琵琶正派の実例として、須田先生による音声動画を掲載します。
薩摩琵琶正派『川中島』
演奏|須田誠舟
時間|27分01秒
▼クリックすると再生されます(音量にご注意ください)
師匠|須田誠舟先生について
薩摩琵琶正派・平家琵琶演奏家
須田誠舟(すだ せいしゅう)
公式サイト
1947年東京生まれ。薩摩琵琶を辻靖剛氏、平曲を金田一春彦氏に師事。国内外で多数の演奏会に出演し、NHK大河ドラマなどの琵琶指導も担当。主要な演奏会に「平家物語の世界」など。現在、日本琵琶楽協会会長、薩摩琵琶古曲研究会会長、薩摩琵琶正絃会会長。
須田先生による平曲全200曲の録音アーカイブは、国立国会図書館インターネット資料収集保存事業により無料公開されています。
インターネットアーカイブ
