「KAJIWARA25」インスタレーションノート

KAJIWARA25|SAKAI-01 MAKI
巻物が開かれるとき、展開するのは夜や波。残像。
平家物語を象徴する布を空間に展開させ、あちらとこちらの境を表現したインスタレーション。

『KAJIWARA25|SAKAI-01 MAKI』(2025)
盛典のインスタレーションSAKAI。01シリーズでは反物を吊り下げ、平家物語の「巻」を反物に見立て、場面を象徴する布の組み合わせによって、あちらとこちらの境を表現しています。
心の起伏、浪のかたち、夜の闇。
今回はこの三つのモチーフをひとつのインスタレーションに重ね、梶原一族が登場する物語を展開しました。
「生食(いけづき)」
所望していた名馬生食を佐々木高綱が手にしていたと知った梶原景季。平曲では、その揺れる心中が描かれます。“ここで佐々木を待ち受け、差し違えて二人の侍が死ねば、鎌倉殿にも損害となるだろう”そう呟く心模様を布の模様に重ねました。
「宇治川(うじがわ)」
生食の後、景季と佐々木は宇治川で先陣争いに挑みます。佐々木は名馬生食、梶原は名馬磨墨。一歩進んでいた景季を、佐々木は巧みに足止めし、宇治川へと飛び込みます。水の勢いと応酬の強さ、その濃淡波模様を布の模様に重ねました。
「二度魁(にどのかけ)」。
景季の父・梶原景時が、息子景季の行方を捜して再び軍場へ駆け戻る場面です。なりふり構わず戦場に戻る景時の、混沌とした闇に再び向かっていく姿を布の模様に重ねました。
反物|紬・その他
今回は紬を中心に組み合わせました。会場のシャッターを上げて光を受けたときと、下ろして闇に沈むときと、布の印象は変わります。光の当たり方で濃淡が変わること、闇の中だからこそ浮かび上がるかたちを見ることが出来ました。心の起伏、浪のかたち、夜の闇。光と闇の境目に身を置いて平曲を語っています。



| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 制作時期 | 2025年11月 |
| タイトル | KAJIWARA25 |
| シリーズ | SAKAI-01 MAKI |
| コンセプト | 反物を吊るし、巻物が開かれるように物語を展開する展示。平家物語を象徴する布を空間に縦断させ、あちらとこちらの境を表現する。 |
| 素材 | 紬・その他 |
| 制作・演出 | 盛典(インスタレーション・撮影) |
| 語り | 盛典・雷伝(平家琵琶) |
平曲×インスタレーション
▶「生食」現代語訳はこちら
詞章
思ひ思ひの鞍置かせ色々の鞦懸け、或いは乗口に引かせ或いは諸口に引かせ、幾千万といふ数を知らず。引き通し引き通ししける中に景季が賜はつたる磨墨に勝る馬こそ無かりけれと嬉しう思ひて見るところに、ここに生食と思しき馬こそ出で来たれ。金覆輪の鞍置かせ小房の鞦懸け白轡はげ白沫噛ませて、舎人数多付いたりけれどもなほ引きもためず、躍らせてこそ出で来たれ。梶原うち寄つて「この御馬は誰が御馬候」「佐々木殿の御馬候」「佐々木は三郎殿か四郎殿か」「四郎殿の御馬候」とて引き通す。梶原「安からぬ事なり。同じやうに召し使はるる景季を、佐々木に思し召し替へられける事こそ遺恨の次第なれ。今度都へ上り木曽殿の御内に四天王と聞ゆる、今井、樋口、楯、根井と組んで死ぬるか然らずは西国へ向つて平家の侍と軍して死なんとこそ思ひしに、この御気色ではそれも詮なし。詮ずるところ唯今此処にて佐々木を待ち受け、引つ組んで差し違へよき侍二人死んで鎌倉殿に損取らせ奉らん」と呟いてこそ待ちかけたる。佐々木何心もなう乗替えに乗って歩ませて出で来たり。梶原押し並べてや組むべき向こう様にや当て落すべきと思ひけるが、まづ詞をぞ懸けける。「いかに佐々木殿は生食賜はらせ給ひて上らせ給ふな」と云ひければ佐々木、あつぱれこの仁も内々所望申しつると聞きしものをときつと思ひ、「さん候ふ今度この御大事に罷り上り候ふが、宇治も勢田も定めて橋をや引いたるらん。乗つて川を渡すべき馬は無し。生食を申さばやと存じつれども、御辺の申させ給ふだに御許されも無きに、まして高綱なんどが申さばとてよも給はらじ。後日にいかなる御勘当もあらばあれと存じつつ、明日立たんとての曉、舎人に心を合はせてさしも御秘蔵の生食を盗み澄まして上りさうはいかに梶原殿」と云ひければ、梶原この詞に腹が居て「妬いさらば景季も盗むべかりつるものを」とてどつと笑ふてぞ退きにける。
▶「宇治川」現代語訳はこちら
詞章
ここに平等院の艮橘の小島崎より武者二騎引き懸け引き懸け出で来たり、一騎は梶原源太景季一騎は佐々木四郎高綱なり。人目には何とも見えざりけれども内々先に心をかけければ梶原は佐々木に一段ばかりぞ進んだる。佐々木「いかに梶原殿この川は西国一の大河ぞや、腹帯の延びて見えさうは締め給へ」と云ひければ、梶原さもあるらんとや思ひけん手綱を馬の揺髪に捨て、左右の鎧を踏み透かし腹帯を解いてぞ締めたりける。佐々木その間に其処をつと馳せ抜いて川へさぶとぞうち入れたる。梶原謀られぬとや思ひけんやがて続いてうち入れたり。梶原「いかに佐々木殿高名せうとて不覚し給ふな。水の底には大綱あるらん心得給へ」と云ひければ佐々木げにもとや思ひけん、太刀を抜いて馬の脚にかかりける大綱共をふつふつと打ち切り打ち切り、宇治川速しといへども生食といふ世一の馬には乗つたりけり一文字にさつと渡いて向かひの岸にぞ着きにける。梶原が乗つたりける磨墨は川中より篦撓形に押し流され遥かの下より打ち上げたり。
詞章
梶原郎等共に「源太はいかに」と問ひければ「あまりに深入りして討たれさせ給ひて候ふやらん遥かに見えさせ給ひ候はず」と申しければ梶原涙をはらはらと流いて「軍の先を駆けうと思ふも子供がため、源太討たせて景時命生きても何にかはせんなれば返せや」とてまた取つて返す。その後梶原鐙踏ん張り立ち上がり大音声を揚げて「昔八幡殿の後三年の御戦に出羽国千福金沢城を攻めさせ給ひし時、生年十六歳と名乗つて真先駆けて弓手の眼を鉢付の板に射付けられながらその矢を抜かで当の矢を射てやがてその敵が首とつて名を後代に上げたりし、鎌倉の権五郎景正が末葉に梶原平三景時とて一人当千の兵ぞや。城の内に我と思はん人々は寄り合へや見参せん」とて喚いて駆く。城の内には是を聞いて「只今名乗るは東国に聞えたる兵ぞや余すな洩らすな討てや」とて梶原を中に取り籠めて我討らんとぞ進みける。梶原我が身の上をば知らずして源太はいずくに在るやらんと、駆け破り駆け廻り尋ぬるほどに、案の如く源太は馬をも射させ徒歩立ちになり、甲をも打ち落され大童に成つて、二丈ばかりありける岸を後に当て、郎等二人左右に立て敵五人が中に取り籠められて面も振らず命も惜しまず此処を最後と攻め戦ふ。梶原これを見て源太は未だ討たれざりけりと嬉しう思ひ急ぎ馬より飛んで下り「いかに源太景時ここにあり同じう死ぬるとも 敵に後ろな見せそ 」とて親子して五人の敵を三人討つ取り二人に手負せて「弓矢取は駆くるも引くも折にこそよれ、いざうれ源太」とて掻い具してぞ出でたりける。梶原が二度の駆けとはこれなり。
