【次回の演奏会】10月29日(火)「最期の海、壇ノ浦。」▶

特集


那智の沖にて|寝ながら聞く平家琵琶で聞く平家物語


おかげさまをもちまして
2024年8月27日・9月24日
「那智の沖にて」は終了いたしました

2024年本番音声はこちら

時間:60分36秒
録音:2024年9月24日 本番
平曲『横笛』4:03~
平曲『維盛入水』30:36~
会場の音をそのままにしているため、お聞き苦しい箇所があります。また演奏会の構成上、曲節を素声にしているところがあります。

【那智の沖にて】平曲(平家琵琶の伴奏で平家物語を語るもの)の平家物語巻第十「横笛」と「維盛入水」を語ります。それぞれの物語で描かれる現世の苦しみからの解放と精神的な昇華。時頼と横笛の物語は出家という形で精神的な成長と解放を遂げ、維盛は自らの命を終えることで、家族や仲間への未練を断ち切り、悟りへの道を選ぶことになります。

平曲『横笛』4:03~
以下の現代語訳を参考にお聞きください

平家物語巻第十『横笛』現代語訳あらすじ

『横笛(平曲:横笛)』現代語訳全あらすじ
その頃、小松三位中将(平維盛)は身体は八島にありながら心は都に向いていた。故郷に残してきた幼い子供たちの面影がいつも心に浮かび、忘れることができなかった。自分が何もできないことを嘆き、寿永三年三月十五日の夜明け前に八島の館を密かに発った。与三兵衛重景、石童丸、舟を漕ぐ武里の三人を連れて阿波国の結城浦から舟に乗り、鳴門浦を漕ぎ過ぎて紀伊路へ向かった。

和歌の吹上衣通姫の神として現れた玉津島の明神、日前国懸の神社を過ぎて、紀伊の湊に到着する。ここから山道を通って都へ上り、恋しい者たちにもう一度会いたいと思ったが、叔父本三位中将(平重衡)が生け捕りにされ、都や鎌倉で恥をさらすことさえ無念なのに、自分も囚われて父の屍に血を塗ることになるのはさらに辛いと考えた。千度心は進もうとしたが、その度に思い直し、結局、高野山へ参ることにした。

高野山には長年知り合いの聖(高僧)がいた。

三条斎藤左衛門茂頼の子である斎藤滝口時頼は、もともと小松殿(平重盛)の家臣だった。十三のとき、本所に参ったが、そこで建礼門院の雑司である横笛という女性に出会い、滝口は彼女に深く恋をした。

父親はこのことを伝え聞き、「世間にいる有力な人物の婿にして出仕などを安心して行わせようと思っていたのに、身分のない者を好きになってしまうとは」と強く諫めた。すると滝口は「西王母という人も昔は存在しましたが、今は存在しません。東方朔という人も名を聞くだけで、その姿を見たことはありません。老若の区別なく、人生はただ一瞬の閃光のようなものです。たとえ人が長命であっても七、八十歳を過ぎることはなく、そのうち盛りはわずかに二十余年です。この夢幻のような世の中で、醜いものを見続ける意味はありません。愛しい人を見ようとすることが父の命に背くことになるのならば、これは善知識(仏教的な善い導き)です。この世を捨てて真の道に入りたい。」と語り、十九の年に髻を切って嵯峨の往生院に入った。

横笛はこのことを伝え聞き、「私を捨てて出家してしまったことが恨めしい。たとえ世を捨てるにしても、どうしてそのことを知らせてくれなかったのか。訪ねて今一度恨みを晴らしたい。」と考えながら、ある夕暮れに都を出て嵯峨の方へと向かった。

頃は二月十日過ぎ、梅津の里の春風には外の匂いも懐かしく、大井川の月影も霞に包まれて朧。一方ならない哀れさも誰のせいだと。

往生院だとは聞いていたものの、どの坊(場所)かははっきりと知らないので、ここに休み、あそこに佇んで探し出せずにいた。荒れ果てた草房で念誦の声が聞こえたのを、滝口入道の声と聞いて、「様子が変わっていてもお会いしたくてここまで来ました」と連れていた女が言った。滝口入道は胸が騒ぎ、障子の隙間から覗いてみると、裾は露に濡れ、袖は涙で湿っている様子で、どんな道心者でも心が弱くなりそうだった。

人を出して、「ここにはそのような者はいません。門を間違えているのではないでしょうか」と言って、結局会わずに帰らせた。横笛は情けなく恨めしく思ったが、どうすることもできず、涙を押さえて帰った。

その後、滝口入道は同宿の僧に語った。「ここも世間から離れて静かで、念仏の妨げにはなりませんが、未練を残して別れた女性にこの住まいを見られてしまったので、たとえ一度は心を強く持っても、再び慕う気持ちが生じれば心が乱れてしまうでしょう。暇をいただきたい」と言って、嵯峨を出て高野山へ上り、清浄心院に住むことにした。

横笛も出家したという知らせを聞き、滝口入道は一首の歌を送った。「剃るまでは恨みしかども梓弓、真の道に入るぞうれしき」横笛の返事に、「剃るとても何か恨みん梓弓引きとどむべき心ならねば」

その後、横笛は奈良の法華寺にいたが、思いが募ったためか、ほどなくして亡くなった。滝口入道はこの知らせを聞いて、いよいよ深く修行に専念するようになった。そのため、父親も彼の不孝を許した。親しい者たちは皆、彼を「高野聖」と呼んだ。

三位中将が滝口入道を訪ねて会ったとき、都にいた頃は布衣に立烏帽子をかぶり、衣文を整え、鬢を撫でて華やかな姿の男性だったが、出家してから初めて見ると、まだ三十にもならないのに老僧のように痩せ黒く、濃い墨染めの衣と同じ袈裟をまとい、香の煙に染まって香りが漂っている様子が賢しげに見えた。晋の七賢や漢の四晧が住んだ商山竹林の様子も、これには勝らないように思えた。

平曲『維盛入水』30:36~
以下の現代語訳を参考にお聞きください

平家物語巻第十『維盛入水』現代語訳あらすじ

「維盛入水(平曲:横笛)」現代語訳全あらすじ
こうして三つの御山への参詣を無事に終えた後、浜の宮と呼ばれる王子の御前から、一葉の舟に乗って広い海に浮かんだ。遥か沖に山成島という場所があり、中将はその島に舟を漕ぎ寄せて上陸した。

「祖父 太政大臣 平清盛 法名 浄海」「父 内大臣 左大将 重盛 法名 浄蓮」「三位中将 維盛 法名 浄円 年二十七歳 寿永三年三月二十八日 那智の沖にて入水す」こう書き付けて再び舟に乗り、沖へと漕ぎ出した。覚悟を決めた道ではあったが、いよいよ最期の時が近づくと、やはり心細く、悲しさは言い尽くせなかった。

頃は三月二十八日、海は遥かに霞んで哀愁を誘う風景。普通の春の日でも夕暮れの空は物寂しいのに、ましてやこれが今生最後の時であるならば、なおさら心細く感じた。沖の釣り舟が波間に消えるように感じられるが、それでも沈みきらないのを見て、自分の運命を重ねて思ったのだろうか。一行を連れて帰る雁が越路を指して鳴いていくのも、故郷に伝言を託したい気持ちを表しているように感じられ、蘇武が胡国で抱いた恨みを思い出させ、切ない思いに包まれた。

過去のことやこれからのことを思い続けていると、やはり妄執が尽きないと思われたのだろうか。たちまち妄念を払いのけ、西に向かって手を合わせて高声に念仏を唱えた。心の中では、都では今日が最後だとはどうやって知ることができるだろう。風の便りを今か今かと待っているに違いないと思った。

合掌を乱し念仏を止めて聖に向かって「ああ、妻子を持つべきではなかった。今生で物思いにふけるだけでなく、後世の菩提の妨げになることが口惜しい。こうした思いを心に残しておくのはあまりに罪深いので、懺悔する」と語った。

聖も哀れに思ったが、自分まで心が弱くなってはならないと思ったのか、涙を押し拭いながら冷静に振る舞い、「高貴な人も賤しい人も、恩愛の道は簡単に断ち切れないものでございます。特に夫妻の間柄は、『一夜の枕を並べるのも五百生の宿縁』と申しますから、前世の契りが浅からぬものです。生きている者は必ず滅び、会う者は必ず別れるのがこの世の常です。露が消えるように、人の命もいつか終わりを迎えます。たとえ別れの時が遅かれ早かれ、後れる者も先立つ者も、最終的には別れる運命にあるのです。

かの驪山宮での秋の夕べの契りも、最終的には心を砕く原因となり、甘泉殿での生前の恩も無限ではありません。松子と梅生が一生涯の恨みを抱いたように、十地に達する者ですら、なお生死の定めに従います。たとえ君が長生の楽しみを誇りとされても、この恨みは消え去ることはありません。たとえまた百年の命を持たれたとしても、この別れは避けられないものとお考えください。

第六天魔王という外道は、欲界の六天を我が物として領有し、特にこの世界の衆生が生死を離れることを惜しみ、ある時は妻となり、ある時は夫となってそれを妨げようとします。しかし、三世の諸仏はすべての衆生を我が子のように思い、彼らを極楽浄土の不退の地に導こうとします。そのため、妻子というものは、無始以来生死に輪廻する絆として仏は重く戒めておられるのです。

ですから、心弱く思うことはありません。源氏の先祖である伊予入道頼義は、勅命によって奥州の夷である貞任・宗任を攻めたとき、十二年間で人の首を斬った数は一万六千人、そのほか山野の獣や江河の魚類の命を絶った数は数えきれません。しかし、最期の時に一念の菩提心を起こしたため、往生の願いを遂げました。出家の功徳は莫大であり、前世の罪障はすべて消滅するのです。

例えば、誰かが七宝塔を建て、その高さが三十三天に達するとしても、一日の出家の功徳には及びません。また、百千年の間に百羅漢を供養した功徳も、一日の出家の功徳には及ばないと説かれています。罪深い頼義でさえも、心の猛さゆえに往生を遂げたのです。まして、君はさしたる罪業もありません、どうして浄土に参らないことがありましょうか。

その上、この山の権現は本地阿弥陀如来であり、初めの無三悪趣の願から、終わりの得三法忍の願に至るまで、一つ一つの誓願はすべて衆生を救うためのものです。特に第十八の願には、「説我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚(もし私が仏となったときに、あらゆる方角の衆生が真心から信じ、私の浄土に生まれたいと願い、その願いをもって十回の念仏を唱えたならば、その者が生まれないことがあれば、私は仏とならない。)」と説かれています。このため、一念十念の信仰が重要なのです。

ただ、この教えを深く信じて、決して疑わないことです。心を込めて一遍でも十遍でも唱えれば、阿弥陀如来は六十万億那由多恒河沙の身を縮め、丈六八尺の姿となって、観音や勢至、多くの聖衆や化仏菩薩に囲まれ、伎楽を奏でながら極楽の東門を出て迎えに来てくださいます。ですから、たとえ自分が海の底に沈むと思っても、紫雲の上に昇ることができるのです。

もし成仏して悟りを開けば、この娑婆の故郷に戻って妻子を導くことができるでしょう。還来穢国度人天(現世に還り来て人を救う)とありますから、疑いを持ってはなりません」と聖は盛んに鐘を鳴らし、念仏を勧めた。中将は「然るべき善知識(仏教的な善い導き)」と思い、西に向かって手を合わせ、高声に念仏を百回ほど唱えた。そして、「南無」と唱える声と共に海へ飛び込んだ。与三兵衛と石童丸も同じように念仏を唱えながら、続いて海に沈んだ。

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