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平家物語巻第十『横笛』現代語訳あらすじ

滝口入道|平家物語巻第十『横笛』現代語訳あらすじ|那智の沖にて


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ここは、平曲(平家琵琶の伴奏で平家物語を語るもの)の小さな演奏会や講座を行っている盛典のサイトです。このページでは平家物語巻第十『横笛(よこぶえ)』の現代語訳あらすじを紹介しています。まだまだ拙いものですがよろしければご覧ください。併せて平曲の小さな演奏会「那智の沖にて|寝ながら聞く平家琵琶で聞く平家物語」をページ後半でご紹介します。

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平家物語巻第十『横笛』現代語訳あらすじ

平家物語巻第十『横笛』簡単なあらすじ
小松三位中将(平維盛)は八島にいながらも、心は常に都を思い焦がれていた。寿永三年三月十五日の夜明け前、彼は密かに八島を立ち、与三兵衛重景、石童丸、舟を漕ぐ武里の三人とともに紀伊路へ向かう。都へ戻りたいという思いは強かったが、叔父の平重衡が生け捕りにされたことを思い出し、滝口入道(斎藤滝口時頼)のいる高野山へ行く決意を固めた。

滝口入道はもともと小松殿(平維盛の父重盛)の家臣であり、十三のときに建礼門院の雑仕として仕えていた横笛に恋をしたが、父親に諫められ、十九で出家し嵯峨の往生院に入った。横笛はこのことを知って悲しみ、嵯峨へ向かうも、滝口入道は彼女に会わずに帰らせた。その後、滝口入道は高野山へ移り、横笛もまた出家し、奈良の法華寺に住んでいたが、ほどなくして亡くなった。

滝口入道は深く修行に打ち込み、父親もその不孝を許した。三位中将が滝口入道を訪ねた際、彼の姿はかつての華やかさとは全く異なり、老僧のように痩せこけて黒ずんだ姿であったが、その修行に励む様子は賢者そのものであり、古の賢者たちにも劣らぬものに思えた。

【音声のみ】音量にご注意ください
時間:60分36秒
録音:2024年9月24日 本番
平曲『横笛』4:03~
平曲『維盛入水』30:36~
会場の音をそのままにしているため、お聞き苦しい箇所があります。また演奏会の構成上、曲節を素声にしているところがあります。

平家物語巻第十「横笛」現代語訳あらすじ全文
その頃、小松三位中将(平維盛)は身体は八島にありながら心は都に向いていた。故郷に残してきた幼い子供たちの面影がいつも心に浮かび、忘れることができなかった。自分が何もできないことを嘆き、寿永三年三月十五日の夜明け前に八島の館を密かに発った。与三兵衛重景、石童丸、舟を漕ぐ武里の三人を連れて阿波国の結城浦から舟に乗り、鳴門浦を漕ぎ過ぎて紀伊路へ向かった。

和歌の吹上衣通姫の神として現れた玉津島の明神、日前国懸の神社を過ぎて、紀伊の湊に到着する。ここから山道を通って都へ上り、恋しい者たちにもう一度会いたいと思ったが、叔父本三位中将(平重衡)が生け捕りにされ、都や鎌倉で恥をさらすことさえ無念なのに、自分も囚われて父の屍に血を塗ることになるのはさらに辛いと考えた。千度心は進もうとしたが、その度に思い直し、結局、高野山へ参ることにした。

高野山には長年知り合いの聖(高僧)がいた。

三条斎藤左衛門茂頼の子である斎藤滝口時頼は、もともと小松殿(平重盛)の家臣だった。十三のとき、本所に参ったが、そこで建礼門院の雑司である横笛という女性に出会い、滝口は彼女に深く恋をした。

父親はこのことを伝え聞き、「世間にいる有力な人物の婿にして出仕などを安心して行わせようと思っていたのに、身分のない者を好きになってしまうとは」と強く諫めた。すると滝口は「西王母という人も昔は存在しましたが、今は存在しません。東方朔という人も名を聞くだけで、その姿を見たことはありません。老若の区別なく、人生はただ一瞬の閃光のようなものです。たとえ人が長命であっても七、八十歳を過ぎることはなく、そのうち盛りはわずかに二十余年です。この夢幻のような世の中で、醜いものを見続ける意味はありません。愛しい人を見ようとすることが父の命に背くことになるのならば、これは善知識(仏教的な善い導き)です。この世を捨てて真の道に入りたい。」と語り、十九の年に髻を切って嵯峨の往生院に入った。

横笛はこのことを伝え聞き、「私を捨てて出家してしまったことが恨めしい。たとえ世を捨てるにしても、どうしてそのことを知らせてくれなかったのか。訪ねて今一度恨みを晴らしたい。」と考えながら、ある夕暮れに都を出て嵯峨の方へと向かった。

頃は二月十日過ぎ、梅津の里の春風には外の匂いも懐かしく、大井川の月影も霞に包まれて朧。一方ならない哀れさも誰のせいだと。

往生院だとは聞いていたものの、どの坊(場所)かははっきりと知らないので、ここに休み、あそこに佇んで探し出せずにいた。荒れ果てた草房で念誦の声が聞こえたのを、滝口入道の声と聞いて、「様子が変わっていてもお会いしたくてここまで来ました」と連れていた女が言った。滝口入道は胸が騒ぎ、障子の隙間から覗いてみると、裾は露に濡れ、袖は涙で湿っている様子で、どんな道心者でも心が弱くなりそうだった。

人を出して、「ここにはそのような者はいません。門を間違えているのではないでしょうか」と言って、結局会わずに帰らせた。横笛は情けなく恨めしく思ったが、どうすることもできず、涙を押さえて帰った。

その後、滝口入道は同宿の僧に語った。「ここも世間から離れて静かで、念仏の妨げにはなりませんが、未練を残して別れた女性にこの住まいを見られてしまったので、たとえ一度は心を強く持っても、再び慕う気持ちが生じれば心が乱れてしまうでしょう。暇をいただきたい」と言って、嵯峨を出て高野山へ上り、清浄心院に住むことにした。

横笛も出家したという知らせを聞き、滝口入道は一首の歌を送った。「剃るまでは恨みしかども梓弓、真の道に入るぞうれしき」横笛の返事に、「剃るとても何か恨みん梓弓引きとどむべき心ならねば」

その後、横笛は奈良の法華寺にいたが、思いが募ったためか、ほどなくして亡くなった。滝口入道はこの知らせを聞いて、いよいよ深く修行に専念するようになった。そのため、父親も彼の不孝を許した。親しい者たちは皆、彼を「高野聖」と呼んだ。

三位中将が滝口入道を訪ねて会ったとき、都にいた頃は布衣に立烏帽子をかぶり、衣文を整え、鬢を撫でて華やかな姿の男性だったが、出家してから初めて見ると、まだ三十にもならないのに老僧のように痩せ黒く、濃い墨染めの衣と同じ袈裟をまとい、香の煙に染まって香りが漂っている様子が賢しげに見えた。晋の七賢や漢の四晧が住んだ商山竹林の様子も、これには勝らないように思えた。



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平家物語は、『横笛』のあとに『高野巻』『維盛出家』『熊野参詣』『維盛入水』が続きますが、演奏会「那智の沖にて」では、平曲『横笛』のあとに『維盛入水』を語っています。

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ここまでご覧いただきありがとうございました。
いつかどこかでお会いできますように。

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