平清盛|平家物語巻第六『慈心坊』現代語訳あらすじ

平曲|慈心坊(じしんぼう)
時間|5分39秒
物語|平家物語巻第六『慈心坊』
詞章
敬禮慈恵大僧正 天台仏法擁護者
示現最勝将軍身 悪業衆生同利益
この偈を誦じ終つて尊恵に又付属す、尊恵斜めならずに歓び南方の中門に出づる時十餘人の餘僧等又先のごとく車の前後に従ひつつ、東南に向つて空を翔り程なく帰り来るかと覚えて夢覚めぬ、その後尊恵都へ上り入道相国の西八条の邸に行向つてこの由具に語り申されたりければ、入道相国斜めならずに喜びやうやうにもてなされ、さまざまの引き出物賜うでその時の勧賞には律師になされけるとぞ聞こえし、それよりしてこそ清盛公を慈恵僧正の化身とは人皆知りてげれ。
平家物語巻第六『慈心坊』現代語訳あらすじ

※平曲の譜面『慈心坊』から書き起こした文章を現代語訳にしています
ある人が言うには、清盛公はただの人ではなく慈恵僧正の化身であるという。その理由はこうである。摂津国清澄寺に、聖・慈心坊尊恵(じしんぼうそんえ)という僧がいた。もとは比叡山で長年学問に励み、法華経を持ち続けてきた学僧であったが、近年になって真の道心を起こし、山を下りてこの寺に住むようになったため、人々は皆この僧を深く敬い帰依していた。
去る承安二年十二月二十二日の夜戌の刻ごろ、尊恵は常住の仏前に参り脇息にもたれて法華経を読誦していた。すると、夢とも現ともつかぬうちに、浄衣をまとい立烏帽子を着け藁鞋を履いた男が一人、文を携えて現れた。尊恵が夢の中で「これはどこの国から来たのか」と問うと、その男は「閻魔王宮よりの宣旨である」と言って、その文を尊恵に渡した。開いて見ると、そこには次のように記されていた。「南閻浮提日本国摂津国清澄寺の聖、慈心坊尊恵。来る二十六日、閻魔羅城大極殿において十万部の法華経転読が行われる。よって参勤すべし。閻王の宣による召請である。承安二年十二月二十二日、閻魔の庁。」尊恵は断るすべもなく、ただちに承知の請文を書いて渡したと思ったところで夢が覚めた。このことを院主の光影房に語ると、聞く者は皆身の毛がよだった。
それ以来、尊恵は自らの死期が近いものと思い定め、口には阿弥陀仏の名号を唱え、心には衆生を救い取る誓願を念じて日を送った。やがて二十五日の夜、仏前に参りいつものように念仏と読経を行った。子の刻ごろ、ひどく眠気を覚えたため住房に戻って横になったところ、丑の刻ほどになって、再び先のような男二人が現れしきりに参詣を促した。参詣しようにも衣も鉢もない。しかし閻魔王の命を辞そうとすればあまりに恐ろしい。そう思い悩むうちに、法衣が自然に身にまといかかり天から金の鉢が降りてきた。さらに二人の従僧、二人の童子、十人の下僧、七宝で作られた大きな車が寺の前に現れ、尊恵はただちにその車に乗せられ、西北に向かって虚空を翔り、ほどなく閻魔王宮に至った。王宮を見ると外郭は果てしなく、その内は広々としていた。その中に七宝で成る大極殿があり、高く広く金色に輝いて凡人の目には及びがたい光景であった。
その日の法会が終わると他の僧たちは皆帰っていった。尊恵は南の中門に立ち、はるかに大極殿を見渡すと、冥官冥衆が皆、閻魔法王の御前にかしこまっていた。尊恵は「このようなありがたい参詣の折に、後生の罪障を尋ねてみよう」と思い歩み寄った。すると二人の従僧が箱を持ち、二人の童子が蓋を差しかけ、十人の下僧が列を整えて付き従った。やがて近づくと、閻魔法王をはじめ、冥官冥衆が皆下りて迎えた。薬王菩薩と勇施菩薩は二人の従僧の姿に変じ、多聞天・持国天は二人の童子となり、十羅刹女は十人の下僧に姿を変えて付き従っていたのである。
閻魔王は尊恵に「他の僧たちは皆帰ったのに、御房一人だけ来られたのはどういうわけか。」と言われると尊恵は「後生の罪障を尋ね申したいためです」と答えた。閻魔王は「往生するか否かは、人の信心の有無による」と述べ、冥官に命じて「この御房の作善の記録は大極殿南方の宝蔵にある。取り出してその一生の行いを示せ」と言われた。冥官は命を受けて宝蔵へ行き、一つの文箱を取り出し蓋を開いて読み聞かせた。冥官は筆を取って、一つ一つ書き記していく。尊恵が一生の間に思い、行ったことは、一つとして記されていないものはなかった。尊恵は悲嘆し、涙を流して 「どうか生死を離れる道を教え、悟りへ至るまっすぐな道をお示しください」と願った。すると閻魔王は哀れみ、教えとして次の偈を誦した。
妻子王位財眷属 死去無一来相親
常随業鬼繋縛我 受苦叫喚無辺際
(妻子や地位、財宝、眷属は、死に際して一人として共に来る者はない。ただ業の鬼に縛られ、限りない苦しみを受けて叫ぶばかりである。)
偈を誦し終えると、これを尊恵に託した。尊恵は喜びの涙を流しながらさらに申し上げた。「南閻浮提の大日本国に入道大相国と申す人がおり、摂津国和田の御崎を切り開いて、四方十余町にわたり堂舎を建て、多くの持経者を招いて坊々に座を設け、今日の十万僧会のように念仏と読経を丁寧に勤めております。」これを聞いた閻魔王は深く感嘆し、「清盛公はただの人ではない。慈恵僧正の化身である。天台の仏法を護り持つため、仮に日本に再び生まれたからである。ゆえに我は彼の人を日に三度拝礼しその功徳を件の入道に与えるであろう」と言って次の偈を誦した。
敬禮慈恵大僧正 天台仏法擁護者
示現最勝将軍身 悪業衆生同利益
(慈恵大僧正に敬礼する。天台の仏法を守護する者。最勝将軍の姿を現じ、悪業の衆生までも共に利益する。)
この偈を誦し終えて再び託した。尊恵は大いに喜び南の中門を出ると、再び十余人の僧たちが先と同じく車の前後に従い、東南に向かって空を翔りほどなく帰ってきたと思ったところで夢が覚めた。その後尊恵は都へ上り入道相国の西八条の邸を訪れて、この一部始終を詳しく語った。清盛は大いに喜び手厚くもてなし、さまざまな引き出物を与えその時の勧賞として律師に任じたと伝えられる。こうして人々は清盛公を慈恵僧正の化身であると知るようになった。
また別に言うには、持経上人は弘法大師の再誕であり、白河院はまた持経上人の化身であるという。このように君は功徳の林をなし善根の徳を重ね給う。末の世においても清盛公は慈恵僧正の化身として、悪業と善根の双方によって功を積み、世のため人のため、自他の利益をなしたと見える。それは、提婆達多と釈尊が、ともに衆生を利益したのと異ならないというのである。
次のお話
▶祇園女御
ご案内
演奏会で語る平曲を現代語訳にしています。
▶平家物語現代語訳一覧
平家琵琶の伴奏で平家物語を聞いてみませんか。
▶演奏会一覧
▶平曲を聞く
