平経正|平家物語巻第七『経正都落』現代語訳あらすじ

平曲|経正都落(つねまさみやこおち)

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時間|4分04秒
物語|平家物語巻第七「経正都落」
空間展示|ICHIMON26
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詞章
旅衣夜な夜な袖をかたしきて思へば我はとほくゆきなん。さて巻ひて持たせられたりける赤旗ざつと差し上げたれば、あそこ此処に控へて待ち奉る侍共あはやとて馳せ集まりその勢百騎ばかり鞭を挙げ駒を早めてほどなく行幸に追つ付き奉らる。

平家物語巻第七『経正都落』現代語訳あらすじ
※平曲の譜面『経正都落』から書き起こした文章を現代語訳にしています
修理大夫経盛の嫡子、皇后宮亮経正は、幼い頃から仁和寺の御室(先代覚性)の御所に童形として仕えていた。このような慌ただしい状況の中でも御室(当代守覚)との別れが強く心に残り、侍五、六騎を伴って仁和寺殿へ馬を走らせた。急いで馬から飛び降り、門を叩いてこう申し入れた。「君(安徳天皇)はすでに都をお離れになり、平家一門の運命も今日で尽きてしまいました。この憂き世に心残りは、ただ貴方様との別れだけです。八歳の時にこの御所に参り始め、十三歳で元服するまでは、御前を離れることもありませんでした。今日はもう西国千里の波路へ向かうため、いつまた戻れるかもわかりません。もう一度お目にかかりたいのですが、急ぎ甲冑を身につけ弓矢を帯びて、普段とは異なる姿になってしまいましたので、恐れ多く存じます。」すると御室は哀れに思われ、「そのままの姿で来なさい」とおっしゃった。
経正はその日、紫地の錦の直垂に萌黄色の鎧を着て、長覆輪の太刀を帯び、二十四本の切斑の矢を背負い、滋籐の弓を脇に挟んでいた。兜を脱いで紐に掛けて、御前の庭に恐れ多くも控えた。御室はすぐに御簾を高く上げさせ、「こちらへ、こちらへ」とお呼びになったので、経正は大床へと参上した。供の藤兵衛尉有教を呼び寄せると、赤地の錦の袋に入れられた御琵琶を持って参った。経正はこれを取り次いで御前に置き、こう申し上げた。「以前お預かりしました青山を持参いたしました。名残は尽きませんが、このような朝廷の宝物を田舎の埃にまみれさせるのは惜しいので、お返しいたします。もし不思議にも運命が開けて都へ戻ることができましたら、その時にまた改めてお預かりしたいと存じます」。すると御室は哀れに思われ、一首の和歌を詠んでお与えになった。
あかずして 分かるる君が 名残をば 後の形見に つつみてぞおく(別れがたく去るそなたの名残を、後の形見として包んおこう。)
これを受けた経正は御硯を賜り、一首を詠じて返した。
呉竹の 筧の水は 替はれども なお住みあかぬ 宮の内かな(呉竹の筧の水は流れて昔の水ではありませんが、変わらず清らかです、いつまでもお仕えしたかった。)
さて、経正が御前を退出すると、童形、出世者、坊官、侍僧といった多くの人々が名残を惜しみ、経正の袂にすがり涙を流し、袖を濡らさぬ者はなかった。特に経正が幼少の時に小師であった大納言法印行慶(葉室大納言光頼の子)は、別れを惜しみ桂川の端まで送り届けた後、暇を乞い帰還したが、その際法印は涙を流しつつこう詠んだ。
あはれなり 老木若木も 山桜 おくれ先さきだち 花は残らじ(哀れなことだ。山桜は老木も若木も、早い遅いの違いこそあれ、いずれ全て散ってしまう。)
経正は返歌を詠じた。
旅衣 夜な夜な袖を かたしきて 思へば我は とほくゆきなん(思えばこれから、旅の衣を夜ごと袖に敷いて眠り、私は遠くへ行くのだ。)
その後、経正が巻いて持参していた赤旗を高々と掲げると、あちらこちらで控えていた侍たちが声を上げて馳せ集まり、その勢いは百騎ほどに膨れ上がった。一行は鞭を挙げて駒を早め、ほどなく安徳天皇の行幸に追いついた。
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