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ここは、平曲(平家琵琶の伴奏で平家物語を語るもの)の小さな演奏会や講座を行っている盛典のサイトです。このページでは平家物語巻第七『竹生島詣(ちくぶしまもうで)』の現代語訳あらすじを紹介しています。
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平家物語巻第七『竹生嶋詣』簡単なあらすじ
詩歌や管弦に優れた平経正は、進軍の途中に滞在した近江国で侍たちを伴って竹生島に参詣する。四月の美しい自然の中で、経正は竹生島の景観を蓬莱のような理想郷と感じ、その神聖さを確信する。祈りを捧げていた経正は、常住の僧から琵琶を授けられ秘曲を奏でる。その音色に感応したのか、明神が白龍の姿で経正の袖に現れた。祈りが叶うと確信した経正は、喜びの中で竹生島を後にする。
平家物語巻第七『竹生嶋詣』現代語訳全文
※平曲の譜面『竹生嶋詣』から書き起こした文章を現代語訳にしています
大将軍である維盛や通盛が進軍する中、副将軍の忠度、経正、清房、知教らは未だ近江国の塩津貝津に留まっていた。その中でも経正は詩歌や管絃の道に秀でた人物であった。ある朝、琵琶湖のほとりに出て、遠くの島を眺めながら、供をしていた藤兵衛有教を呼び寄せて「あれは何というところか」と尋ねた。有教が「あれは名高い竹生島でございます」と答えると、経正は「なるほど、そうか。では参ろうではないか」と述べ、藤兵衛有教や安衛門守教をはじめとする侍五、六人を伴い、小舟に乗り竹生島へ向かった。
頃は四月十八日のことであった。緑に染まる梢は春の風情を残すかに思われ、谷間で鳴く鶯の声は老いて、初音の待たれるほととぎすが折知り顔に季節の移ろいを告げている。松には藤の花が咲きかかり、まことにすばらしい風情であったので、経正は急いで舟を降り岸に上がり、竹生島の景色を見渡した。それは心にも言葉にも尽くしがたい美しさであった。
秦の始皇や漢の武帝は、童男童女を遣わしたり、方士に命じて不死の薬を探させたが「蓬莱を見るまでは帰るまい」と言っていたずらに舟の中で老いたという。広大な天と水の中で、目にすることが出来なかったという蓬莱洞の様子も、この竹生島の景色には及ばないだろうと思われた。
ある経の文にいわく「閻浮提の内に湖があり、その中に金輪際からそびえる水晶の山があり、天女たちが住む場所である」と、即ちこの島のことであろう。経正は明神の御前に跪いて、「大弁功徳天は大昔の如来、法身の菩薩であられます。妙音弁才二天の名はそれぞれ異なると申しても、その本地は一体であられ、衆生を救済してくださる。一度参詣した者は所願が成就し、円満に至ると聞いております。誠に頼もしいことでございます」と述べ、静かに経を読んでいると やがて日が暮れ、居待月が昇り始め、海上を照らし、社殿もいよいよ輝きを増した。すると常住の僧が現れ、「聞き及んでおります」と経正に琵琶を渡した。
経正はこれを取って上玄石上の秘曲を奏でると、社殿の中は澄み渡った。その調べに明神も感応したのか、経正の袖の上に白龍となって現れた。経正は喜びに涙を抑えることができず、しばらく琵琶を置いてこう思われた。
神にわが祈りが聞き届けられたのだろうか、験が示された。
このうえは憎い敵を討ち果たし、凶徒を滅ぼすことは疑いないと喜んで再び舟に乗り、竹生島を後にした。大変ありがたいことであった。
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