〖前編〗平家物語『敦盛最期』現代語訳あらすじと平家琵琶の語り

【前編】平家物語『敦盛最期』現代語訳あらすじと平家琵琶の語り


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このページの内容
このページでは、平家物語巻第九『敦盛最期』の前半部分を紹介しています。各場面の現代語訳あらすじと、その部分の平家琵琶の語りをお聞きいただけます。文章は平曲(平家琵琶の伴奏で平家物語を語るもの)の譜面から書き起こしたものです。現代語訳、語りともにまだまだ拙いですが、興味をお持ちいただけましたら、ぜひご覧ください。

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平家物語『敦盛最期』 場面1

6:08秒
収録:2024年7月4日

場面1
さる程に、一の谷の軍破れにしかば、武蔵国の住人、熊谷次郎直実は、平家の公達たちの助け舟に乗らんとて、汀の方へや落ち行き給ふらん、あっぱれよい敵にあふて組まばやと思ひ、渚をさして歩まする所に、ここに練貫に鶴縫うたる直垂に、萌黄匂の鎧着て、鍬形打ったる甲の緒をしめ、金作りの太刀を帯き、二十四さいたる切斑の矢負ひ、滋藤の弓持って、連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍を置ひて乗りたまひたりける武者一騎。海へざっと打ち入れ沖なる舟に目をかけて、五六段ばかりぞ泳がせらる。熊谷、あれはいかに、よき大将軍とこそ見参らせて候らへ。まさなうも敵に後ろを見せさせ給ふものかな。返させ給へ、返させ給へ。と扇をあげて招きければ、招かれて取って返し渚に打ちあがらんとし給ふところを、熊谷波打際にておし並べ、むずと組んでどうど落ち、取って押へて首をかかんとて、内甲を押しあふのけて見たりければ、年のよわひ、十六か七かの殿上人の薄化粧して、かねぐろなり。

現代語訳
やがて一ノ谷の戦いが負けてしまったので、武蔵国の住人、熊谷次郎直実は、平家の貴族たちが助け舟に乗ろうと岸辺の方へ落ちていくだろうと考え、立派な敵と会って組み討ちたいと思いながら、波打ち際の方へ向かって歩いていった。そこに、絹に鶴の刺繍を施した直垂を着て、萌黄色の鎧を身につけ、鍬形を打った兜の緒を締め、金作りの太刀を差し、二十四本の矢羽が付いた切斑の矢を背負い、滋藤の弓を持ち、金覆輪の鞍を置いた連銭葦毛の馬に乗っている武者が一騎。海へざっと入って、沖にある舟に向かって五、六段ほど泳いでいた。熊谷は、あれはどうしたことか、立派な大将軍ではないか。卑怯にも敵に後ろを見せるのか、戻られよ。戻られよ。と扇を上げて招いたので、招かれて戻り、渚にあがろうとしたところを熊谷が波打ち際で押し並べ、むんずと組んでどうと倒し、取り押さえて首をはねようと内兜を押し上げてみると、年の頃十六か十七の殿上人で、薄化粧をして、歯を黒く染めていた。

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平家物語『敦盛最期』 場面2

0:55秒
収録:2024年7月4日

場面2
我が子の小次郎が齢ほどにて、容顔誠に美麗なりければ、いづくに刀を立つべしとも覚えず。熊谷「いかなる人にてわたらせ給ふぞ。名乗らせ給へ。助け参らせん。」と申しければ、「かういふ汝は何者ぞ。名乗れきこう。」ど宣へば、「ものそのものにては候はねども、武蔵国の住人、熊谷次郎直実。」と名乗り申す。

現代語訳
自分の子の小次郎と同じくらいの年齢で、顔立ちも本当に美しいので、どこに刀を立てるべきかもわからない。熊谷は、「あなたはどのような方ですか。お名乗りください。お助けしましょう。」と言うと、相手は「こういうあなたは何者ですか。名乗りなさい。」と言われた。熊谷は、「ものの数にもはいらないような者です、武蔵国の住人、熊谷次郎直実。」と名乗った。

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平家物語『敦盛最期』 場面3

6:12秒
収録:2024年7月4日

場面3
「さては、汝にあふては名乗るまじいぞ、名乗らずとも首を取って人に問へ、見知らうずるぞ。」とぞ宣ひける。熊谷あっぱれ大将軍や。この人一人討ち奉つたりとも、負くべき軍に勝つことはよもあらじ。又助け奉つたりとも、勝軍に負くることはよもあらじ。我が子の小次郎が今朝一の谷にて薄手負うたるをだにも、直実は心苦しう覚ゆるに、討たれ給ひぬと聞き給ひて、この殿の父、さこそは歎き悲しみ給はんずらめ。いかにもして助け参らせん。とて、後ろを顧みたりければ、土肥・梶原五十騎ばかりで出で来り。熊谷涙をはらはらと流ひて

現代語訳
「ならば、お前に名乗るわけにはいかない。名乗らなくても首を取って人に聞け、それでわかるだろう。」と言われた。熊谷は、さすがは大将軍だ。この人一人を討ち取ったとしても、負けるはずの戦に勝つことはない。また助けたとしても、勝っている戦に負けることもない。我が子の小次郎が今朝一ノ谷で軽い傷を負っただけでも、私は心苦しく思うのに、討たれてしまったと聞いたら、この殿の父上はどれほど悲しみ嘆かれるだろう。どうにかしてお助け申し上げよう。と、後ろを振り返ると、土肥・梶原の軍が五十騎ほど近づいてくるのが見えた。熊谷は涙をはらはらと流して

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平家物語『敦盛最期』 場面4

3:18秒
収録:2024年7月4日

場面4
「あれご覧候へ。いかにもして助け参らせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとくに満ち満ちて、よも逃しまいらせ候はじ。あはれ、同じうは直実が手にかけ奉つてこそ、後の御孝養をも仕まひらせ候はめ。」と申しければ、「ただ何さまとうとう、首を取れ。」とぞ宣ひける。

現代語訳
「あれをご覧ください。どうにかしてお助け申し上げたいと思いますが、味方の軍勢が雲霞のごとく押し寄せており、よもや逃すことはできません。ああ、同じならば私の手で討ち取って、後のご供養をいたしましょう。」と言うと「ただすみやかに、首を取れ。」と言われた。

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