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平家物語巻第十一『弓流(ゆみながし)』現代語訳あらすじ

源義経|平家物語巻第十一『弓流』現代語訳あらすじ

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平家物語巻第十一『弓流(ゆみながし)』現代語訳あらすじ

平家物語巻第十一『弓流』簡単なあらすじ
感極まったのか舟の中から年の頃五十ほどの男が、黒糸威の鎧をまとい、白柄の長刀を杖にして扇の立てられた場所で舞い始めた。それを見た伊勢三郎義盛は、与一に命じてその男を射させる。与一は見事に矢を命中させ、男は舟底へと真っ逆さまに倒れた。これに対し、平家側は静まり返り、源氏の兵たちは箙を叩いて歓声を上げる。

平家は不本意に思い、武者三人を渚に上げて源氏を挑発する。戦いが始まり、三尾の谷の十郎が攻撃を受けるも、なんとか退却し、平家の武者・悪七兵衛景清が名乗りを上げる。これにより平家の士気が回復し、二百余人が渚に上がって再び源氏を挑発するが、義経率いる八十余騎が突撃し、平家は舟に引き退く。

源氏は勢いに乗って、馬の腹が水に浸かるほどまで攻め進むが、船の中から平家の者が熊手で義経に攻撃する。義経は弓を落とすが、味方の兵たちの制止を振り切って弓を取り戻し、笑って戻った。大人たちが非難したが、義経は弱い弓を敵に嘲られることが悔しくて取り戻したのだと説明し、皆は深く感銘を受ける。

その後、源氏は疲労困憊して陣を張り眠るが、義経と伊勢三郎は眠らず、敵の動きを見張る。一方、平家は夜討ちを計画するも、内部で先陣争いが起き、その夜も明けてしまう。もし夜討ちが行われていれば源氏は窮地に立たされていたが、平家は攻撃しなかったことが運の尽きであった。

平家物語巻第十一『弓流』現代語訳全文
※平曲の譜面『弓流』から書き起こした文章を現代語訳にしています

感に堪えきれなかったのか、舟の中から年の頃五十ほどの男が、黒糸威の鎧をまとい、白柄の長刀を杖にして扇の立てられた場所に立ち、舞い始めた。これを見た伊勢三郎義盛は、与一の後ろに歩み寄り、「御命令だ、これも仕留めよ」と告げた。与一は今度は中差を手に取り、矢を番え、その舞う男の真ん中を狙って矢を放った。矢は見事に命中し、男は舟底へと真っ逆さまに射倒された。「見事に射た」と称賛する者もいれば、「なんと無情なことだ」と嘆く者もいた。平家は静まり返り、源氏は箙を叩いて歓声を上げた。

平家はこれを不本意に思ったのか、舟から楯を突き出して一人、弓を持つ者一人、長刀を持つ者一人の武者三人が渚に上がり、源氏に向かって「ここへ来い」と挑発した。これを見た判官は、「生意気な。馬の強い若党たちを馳せ寄せて蹴散らせ」と命じた。これに応じて、武蔵国の住人三尾の谷の十郎、同じく五郎、同じく藤七、上野国の住人丹生の四郎、信濃国の住人木曾中次が、五騎で駆け寄った。

まず、楯の陰から黒保呂で矧いだ大矢が三尾の谷の十郎の馬の左側、鞅尽くしに筈が隠れるほど射込まれた。馬は屏風を返すように倒れ、十郎は弓手の脚を越え、馬手に素早く下り立ち、太刀を抜いた。そのとき、再び楯の陰から白柄の大長刀を振りかざして平家の武者が襲いかかってきた。十郎は、小太刀では大長刀に敵わないと判断したのか、身を掻い伏せて逃げたが、武者はすぐに追いかけた。

長刀で薙ぎ倒すかと思いきや、平家の武者は長刀を弓手の脇に挟み、馬手を伸ばして十郎の兜の錣を掴もうとした。十郎はそれを避けようと逃げるが、三度掴み損ね、四度目にとうとう掴まれてしまった。しばらく耐えていたが、最後には兜の鉢付けの部分を切り取られ、退却した。残りの四騎は、馬を惜しんでか駆け寄らず、ただ見物していた。

三尾の谷の十郎は味方の馬の陰に逃げ込み、一息ついていた。敵はそれ以上追って来ず、白柄の長刀を杖にし、錣を高く掲げて大声で「これこそ京童たちが呼ぶ上総の悪七兵衛景清だ」と名乗り捨てて退いた。平家はこれに少し気を取り直し、「悪七兵衛を討たせるな、景清を討たせるな、続け」と二百余人が渚に上がり、楯を雌鳥の羽のように築き並べ「源氏、ここへ来い」と招いた。

判官は「では、蹴散らしてやろう」と言い、伊勢三郎を前に、田代の冠者を後ろに、後藤兵衛父子と金子兄弟を左右に配置し、八十余騎で駆け出した。平家の方は馬に乗っている兵が少なく、大半は徒武者だったため、馬に当てられるのを恐れて引き退き、皆舟に乗り込んだ。

楯は蹴散らされ、算を崩したように散乱した。源氏は勝ちに乗じ、馬の腹が水に浸かるほどまで進み、攻め立てた。船の中からは平家の者が熊手を振りかざして判官の兜の錣に「からりからり」と二三度打ちかかったが、源氏の兵たちは太刀や長刀でそれを打ち払い戦った。判官はどうしたことか弓を落としてしまい、うつ伏せになりながら鞭で弓を掻き寄せ、取り戻そうとした。味方の兵たちは「お捨てください」と声を上げたが、判官はついに弓を手に取り、笑いながら戻った。

大人たちは皆、爪弾きをしながら「たとえこの弓が千疋や万疋の価値があろうとも、どうして命と引き換えにすべきでしょうか」と言い合った。これに対して判官は、「弓が惜しくて取ったわけではない。もし義経の弓が伯父為朝のような強弓で、二人三人がかりで張るものであれば、敵に取らせてもよかった。しかし、弱いこの弓を敵が手にして、『これが源九郎義経の弓だ』と嘲笑われるのが悔しくて、命に代えてでも取り戻したのだ」と答えた。これを聞いた者たちは、深く感じ入った。

一日中戦い続け、夜になると平家の舟は沖に浮かび、源氏は牟礼高松の野山に陣を張った。源氏の兵たちは、この三日間ほとんど眠れなかった。おとといは渡辺福島を出て、終夜大波に揺られながら一睡もできず、昨日は阿波国勝浦に着いて戦い、夜通し山中を越え、そして今日は一日中戦い続けたため、人も馬も疲れ果てていた。兵たちは甲や鎧の袖、箙を枕にして前後不覚に眠りに落ちた。

しかし、その中でも判官と伊勢三郎は眠らず、判官は高所に上がって敵が近づくかどうかを見張り、伊勢三郎は窪地に身を潜め、敵が寄せてきたなら馬の太腹を射るつもりで待ち構えていた。平家は能登殿を大将軍としてその夜に夜討ちをかける予定だったが、越中次郎兵衛盛嗣と江見次郎が先陣を争っている間に夜が明けてしまった。もし夜討ちをかけていれば源氏はひとたまりもなかっただろうが、寄せなかったことが運の尽きであった。



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