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平家物語巻第十二『六代乞請』現代語訳あらすじ

平家物語巻第十二『六代乞請』現代語訳あらすじ|六代御前と文覚

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平家物語巻第十二『六代乞請』現代語訳あらすじ

平家物語巻第十二『六代乞請』簡単なあらすじ
北条四郎時政は鎌倉殿からの命令で平家の男子を一人残らず捕らえるよう指示を出した。この報酬目当てに、京の多くの者たちが競って平家の子孫を探し出すようになり、次々と多くの平家の子供たちが捕らえられていった。しかし平家の正統な後継者である小松の三位中将維盛卿の若君、六代御前の所在はなかなか見つからなかった。ある日、六代御前が隠れている場所を女房が密告し、北条はすぐにその場所を囲んで六代御前を捕らえる。絶望した母上と乳母たちは泣き崩れたが、乳母が高雄に住む聖文覚と出会い、若君の命を救って弟子にしてほしいと懇願する。

文覚は六波羅に赴き六代御前を見せると、この若君を失うことはできないと強く思い、二十日の猶予を求めた。北条は文覚の熱心な願いとその背後にある鎌倉殿との因縁に思い当たり、二十日の命を延ばすことを許可した。こうして、六代御前は一時的に命を取り留めたが、二十日を過ぎても文覚は戻らず、北条は六代御前を連れて東国へと下る。一行が千本の松原に到達した時、六代御前を斬る役目を命じられた者ができないでいると、文覚が鎌倉殿の書状を持って駆けつけ六代御前は命を救われたのだった。

平家物語巻第十二『六代乞請』現代語訳全文
※平曲の譜面『六代乞請』から書き起こした文章を現代語訳にしています

その後、北条四郎時政が都の守護を務める中で、平家の男子を一人残らず探し出して差し出した者には、身分を問わず望む報酬を与えると公表した。これを受けて京の身分を問わない多くの者たちが、褒美を得ようと競って平家の子孫を探し出すことに血眼になった。

その結果、多くの平家の子供たちが次々に見つかり、身分の低い者の子であっても、色白で顔立ちが良い子供については「あれは何々中将殿の若君だ」「あの少将殿の子だ」などと言われた。父母は嘆き悲しんだが、「あれは乳母が言っている」「これは介錯の女房が知らせた」と言われると、幼い子供たちは無情にも水に沈められたり、土に埋められたり、少し成長した子供たちは押し殺されたり、刺し殺されたりした。母親たちの悲しみや乳母たちの嘆きは、例えようもないほど深かった。

そんな中、小松の三位中将維盛卿の若君、六代御前がいるという噂が広まった。平家の嫡流であり、年も若干大人びていることから、必ず見つけ出して命を奪おうと手分けして捜索が行われたが、なかなか見つからず、関東へ下ろうとしていたところ、ある女房が六波羅に参り、「遍照寺の奥、大覚寺という山寺の北側、菖蒲谷に小松の三位中将維盛卿の若君と姫君が隠れている」と告げた。北条はこれを聞いて喜び、すぐに人を遣わしてその辺りを探らせると、ある坊に女房たちが多くの幼い子供たちとともに、非常に慎ましやかな様子で住んでいるのが見つかった。

垣根の隙間から覗いてみると、白い犬が庭に走り出たのを追って、美しい若君が続いて出てきた。それを見た乳母の女房と思しき人物が、「ああ、こんな所を人に見られては大変です」と急いで若君を屋内に引き入れた。これを見た者は、間違いなくこれが六代御前だと確信し、急いで六波羅に戻ってこのことを報告した。

翌日、北条は菖蒲谷を包囲し、「小松の三位中将維盛卿の若君、六代御前がここにいらっしゃると聞いております。鎌倉殿の代官として北条四郎時政がただ今、お迎えに参りました。早くお出ましください」と告げた。母上はまるで夢を見ているかのようで、何もわからなくなり、斎藤五、斎藤六が周囲を探るも、武士たちが四方を囲んでいて、どこからも抜け出せそうにない状況であった。

母上は若君を抱きしめ、「私を殺してください」と嘆き、乳母も声を惜しまず泣き叫んだ。日頃は物音を立てずに忍んでいた家中の者たちも、今は声を揃えて泣き悲しんだ。

北条もこの状況を哀れに思い、涙を拭いながらしばらく待った。再び使者を送り、「世の中がまだ落ち着かず、不測の事態が起こるかもしれません。時政が迎えに来ておりますので、どうか早くお出ましください」と伝えた。若君は母上に、「もう逃れることはできません。早く出て行かれますように。既に武士たちが屋内に入り探し回るようであれば、なおさら見苦しい状況をお見せすることになりましょう。たとえ出て行っても、しばらくすれば暇を乞い戻りますので、どうか嘆かないでください」と、落ち着いて申し上げた。

もうどうしようもないと悟り、母上は泣きながら若君に御衣を着せ、御櫛で髪を整え送り出そうとしたが、小さく美しい黒木の数珠を渡し、「これを持って、何があっても念仏を唱えて極楽へ参りなさい」と告げた。若君は「母上とは今日が最後です。今は父の元へ参りたい」と語った。妹の姫君が私も参りますと続こうとしたが、乳母が引き止めた。

六代御前は十二歳ながら、世の十四五歳の子供よりも大人びており、心も優れた方であったため、敵に弱みを見せまいと涙を堪えようとしたが、袖から涙が溢れた。御輿に乗せられ武士たちが周囲を囲んで出発し、斎藤五、斎藤六も御輿の左右に付き添った。北条が馬を用意したが、二人は馬に乗らず、大覚寺から六波羅まで裸足で歩いて行った。

母上と乳母の女房は、天を仰ぎ地に伏して泣き悲しんだが、どうすることもできなかった。しばらくして、母上は乳母の女房にこう話された。「この頃、平家の子供たちを捕らえては、水に沈めたり、土に埋めたり、押し殺したり、刺し殺したりと、様々な方法で命を奪っているという話を聞いています。我が子も同じように失われるのかもしれません。年も少し大人ですから、きっと首を斬られるのでしょう。人の子は乳母のもとに預けられ、時々様子を見に行くこともあります。それだけでも恩愛の道は悲しいものです。ましてや、この子は生まれて以来、一日たりとも自分から離れることなく、まるで自分の大切な一部のように感じて育ててきました。朝夕、二人の間で大切に育ててきたものを、頼みにしていた人と別れてからは、この二人を互いに支え合う存在としてきましたが、今や一人はいてももう一人はいません。今日から先、私はどうすればよいのでしょう。この三年間、昼も夜も肝心を尽くして思い描いてきたことですが、それでも昨日今日のこととは思いも寄りませんでした。ずっと長谷の観音様を頼りにしてきたのに、結局、捕らえられてしまったことが何とも悲しい。今この瞬間にも、あの子が失われてしまう」と、袖を顔に押し当てて涙を流した。

夜になっても、母上は胸が締め付けられるような思いがして、一睡もできなかった。再び乳母に話しかけ、「さっき少しうたた寝をしていた間に、この子が白い馬に乗ってやってきました。あまりにも恋しく思っているので、しばらくの暇乞いに参りましたと言って、傍に座っていたのです。何やら世の中を恨めしそうにしていましたが、私が驚いて目を覚ましたときには、傍には誰もいませんでした。夢でもすぐに目が覚めてしまったことが悲しい」と嘆いた。そのまま夜を明かすことができず、涙で床が浮くほど泣き続けた。夜の時にも限りがあり、時を告げる役人が朝を知らせると、斎藤六が帰ってきた。

母上が「さて、どうであったか」と問うと、「今のところ、特に異変はございません。こちらに御文がございます」と言って差し上げた。母上がそれを開いてご覧になると、「今のところ特に問題はありません。皆様のご心配もいかばかりかと思います。誰々も皆、恋しく思っております」と細々と書かれていた。母上はその文を顔に押し当て、しばらくの間、何も言わず臥せられた。やがて時が過ぎ斎藤六が「時刻もだいぶ経ちましたので、御返事をいただいて戻りたいと思います」と申し出た。母上は泣く泣く返事を書いて渡し、斎藤六は暇を告げて出て行った。

乳母の女房はせめてもの思いに任せて、大覚寺を紛れ出て、あてもなく泣きながら歩き続けていた。するとある人が「この奥、高雄という山寺にいる文覚という聖が、鎌倉殿にとって非常に大切な存在として信頼されており、上臈の子を弟子にしたがっているらしい」と教えてくれた。乳母の女房はそれを聞いて、急いで高雄に向かい聖に会い、「血の中から抱き上げて育てた、今年十二歳になる若君が昨日武士に捕らえられました。どうか命をお救いくださり、弟子にしていただけないでしょうか」と、倒れ込んで声も惜しまず泣き叫んだ。その姿は本当にどうしようもないほど哀れに見えた。

聖も乳母の女房の話を哀れに思い、詳しい事情を尋ねた。乳母の女房は涙にむせびながらしばらく返事もできずにいたが、やがて涙を押さえて起き上がり、「小松の三位中将維盛卿に親しく仕えていました。若君が中将殿の御子息だと誰かが言ったのでしょう。昨日武士に捕らえられてしまいました」と語った。聖が「その武士は誰だ」と尋ねると、乳母の女房は「北条四郎時政と名乗っていました」と答えた。聖は「では、尋ねてみよう」と出て行った。

乳母の女房は聖の言葉を信じられなかったが、昨日若君が武士に捕らえられてからは希望もほとんど持てずにいたので、聖の言葉を聞いて少し気持ちが落ち着き、大覚寺へ戻った。母上は「和御前はすでに身を投げたのかと。私もどこかの川や淵に身を投げようと思っていたのです」と言い、事の詳細を乳母の女房に尋ねた。乳母の女房が、聖が言ったことを初めから詳しく語ると、母上は「それなら、その聖にこの子を預けて、もう一度私に会わせてほしい」と、嬉しさから涙があふれた。

その後、聖は六波羅に出向いて北条に事情を尋ねた。北条は、「平家の子孫である男子については、すべて探し出して捕らえ、命を絶つように鎌倉殿から命じられております。このたびも、多くの子供たちを捕らえて皆殺しにしてきました。その中でも特に、小松の三位中将維盛卿の若君である六代御前は、故中御門の新中納言成親卿の娘の腹から生まれたと聞いております。平家の正統な後継者であり、年も少し成長しているため、特に注意して探していましたが、なかなか所在が分からずにおりました。それが、一昨日になってようやく居場所を突き止め、昨日ここまで迎えに来たのです。しかし、その美しさに心打たれ、まだ手を下すことができずにおります」と答えた。

聖は「それでは、若君にお目にかかりたい」と言って、若君のそばに近づいて拝見した。若君は二重織物の直垂をまとい、黒木の数珠を手に掛けていた。その姿は髪の様子からしても、立ち居振る舞いからしても、まことに優美で、この世の人とは思えないほどであった。今夜はまだ気を緩めて眠っておられないのではないかと思われ、少しやつれたお顔を見た聖は、いっそう心が痛み、なんともいとおしく感じられた。

若君は聖を見て、どのように思われたのか涙ぐまれた。これを見た文覚坊も自然と墨染めの袖を濡らした。たとえ将来どのような敵になったとしても、この若君をどうして命を奪うことができようかと心に思われた。そこで聖は北条に向かって「これは前世からの因縁があるのでしょう、若君を一目見た途端に胸が締め付けられるような思いになり、耐えがたいほどお痛わしいと感じました。どうか二十日の命を延ばしていただきたい。鎌倉に下って、鎌倉殿にこのことを申し上げ、許しを請うつもりです。かつて私が鎌倉殿をこの世に生かそうと院宣を請いに京へ上る途中、道を知らずに夜の富士川を渡ろうとしてもう少しで流されそうになったことがありました。また、高市山で追剥ぎに遭い、命からがら福原の籠の御所にたどり着き、院宣を奉ったときに、鎌倉殿は『たとえどのような大事であっても、聖が申すことは頼朝が生きている限り叶えよう』と約束してくださいました。それに、これまでの私の奉公をも鎌倉殿はよくご存知のはずです。この約束を重んじ、命を軽んじることはないでしょう。鎌倉殿がその言葉を忘れるはずがありません」と言ってその夜明けに立ち去った。

斎藤五と斎藤六は、聖をまるで生身の仏のように感じ、手を合わせて涙を流した。このことを大覚寺に戻って母上と乳母の女房に伝えると、彼女たちの心中がどれほど嬉しかったことか。しかし、鎌倉の判断次第でどうなるかは分からないという不安も残っていた。それでも二十日の命が延びたことで、少しは心が安らぎ、これも長谷の観音様のご加護によるものだと感じて、頼もしく思われたのであった。

こうして日々を過ごしているうちに、約束の二十日が過ぎてしまった。まるで夢のように思え、聖もまだ姿を見せない。一体どうなっているのかと心配でならず、再び悶々とした思いに苛まれた。北条も聖が言っていた二十日が過ぎたため、これ以上京に留まることはできず、鎌倉へ下ろうとしていた。斎藤五と斎藤六も心を尽くしていたが、文覚坊は未だに姿を見せず、使者すらも上がってこなかった。二人は再び大覚寺へ戻り、「聖はまだ見えず、北条もこの夜明けに下向すると言っています」と涙を流しながら伝えると、母上は「あれほど頼もしく聖が言っていたことも、観音のご加護だと信じていたのに、夜明けが近づく今どうなるのか」と嘆かれた。乳母の女房も涙を流し、家の者たちも皆、声を揃えて泣き悲しんだ。

母上は、「情けをかける年長者が文覚坊に会うまで六代を連れて行ってくれるように伝えてほしい、もし聖が六代を助けてくれるとしても、その前に斬られてしまってはどうすれば良いのだろうか。もう命を失おうとしているのですか」と問いかけると、「この夜明け頃のことかと思われます。なぜなら最近まで宿直していた北条の家の子郎等たちは、皆名残惜しそうにしていて中には涙を流す者もいれば、念仏を唱える者もいると聞いております」と答えた。母上があの子の様子はどうなのかと尋ねると、「人が見ている時は、何事もないように振る舞い、数珠を繰っておられます。しかし、人がいない時には、側に向かって涙を流しておられます」と報告した。

これを聞いた母上は、「さぞ心細いことでしょう。年は幼いが心は優しく大人びている、少しの間待てば暇を乞うてすぐに帰ってくると言っていたが、すでに二十日以上も経ち、どこにも行かず、姿も見えず、今夜限りの命と思ってどれほど心細かったことか。あなたたちはどうするつもりなのですか」と問われた。二人は「どこまでもお供し、もし万が一のことがあれば、御骨を取り首にかけ、高野山に納めて出家入道し、御菩提を弔いたいと存じます」と答えた。母上は「時も差し迫っている、早く戻りなさい」と言い、二人は涙を押さえながらその場を立ち去った。

十二月十七日、北条四郎時政は若君を連れてついに都を出発した。斎藤五、斎藤六も御輿の左右に付き従った。北条は彼らに乗り換えの馬を下ろして乗れと言ったが、二人は「最後のお供なので、苦しくはありません」と言って血の涙を流しながら裸足で下っていった。

若君は母上や乳母の女房と別れを告げ、住み慣れた都を見納め、今日を限りの東路に向かうため、遠く離れた東国へと下っていく。その心中を思い量ると、なんとも哀れであった。馬を急がせる武士がいれば、自分の首を今まさに斬られるのかと恐れ、誰かが言葉を交わすのを聞けば、それが自分に関わることではないかと心を締めつけられる思いであった。四宮河原を過ぎ、関山を越え、大津の浦に差しかかる頃には、若君は粟津の原かと疑い、日も暮れかけていた。こうして国々や宿場を次々と過ぎていくうちに、駿河国に差しかかり、儚い命が今にも尽きようとしているのが感じられた。

千本の松原という場所で、御輿が止められ、武士たちは下馬して敷皮を敷き、若君を御輿から下ろすように準備を整えた。北条は急いで馬から飛び降り若君の側に近づき、「ここまでお連れしたのは他に理由があるわけではありません。もし聖に会えるかもしれないと思い、これまでお待ちしていたのです。しかし、山の向こう側までは鎌倉殿の御心中も測りがたいことですから、近江国で若君を失ったと鎌倉殿に報告するつもりです。一業所感の御身なので、誰が言おうと逃れることはできないでしょう」と伝えた。若君はこれに対して何も答えず、斎藤五、斎藤六を呼び寄せて言葉をかけた。「お前たちはこれから都に戻り、私が道中で斬られたなどと申してはならない。なぜなら、私の死を隠し通すことはできないだろうが、このことを母上が聞いて嘆き悲しまれると、草の陰にあっても心苦しく感じ、後世の障りとなるだろうからだ。鎌倉まで無事に送り届けたと報告するように」と命じた。

二人の家臣は涙にむせび、顔を伏せたまましばらくは何も返事をすることができなかった。やがて、斎藤五が涙を抑えながら、「我々は君に後れて生き延びたとしても、一日たりとも正気で都に帰ることなどできましょうか」と言い、再び涙にむせび沈んで伏してしまった。すでに最期が近づいたと感じられる時、若君が肩にかかった髪を、小さく美しい御手で前へとかき上げたのを見た武士たちは、「ああ、なんとも気の毒に、まだ御心が残っておられるのだろうか」と感じ、鎧の袖を濡らして涙を流した。その後、若君は西に向かって手を合わせ、高声に百遍ほど念仏を唱えられた。そして、首を延ばして最期を静かに待たれた。

狩野の工藤三親俊は、若君を斬る役目に選ばれ、太刀を手にして左側から若君の後ろに立ち、いよいよ斬ろうとした。しかし、その瞬間、目がくらみ、心も消え果て、どこに太刀を振り下ろせばよいのか分からなくなり、結局斬ることができず、「自分には到底できません、他の者にお命じください」と言って太刀を捨てて後退した。それから、あれが斬れ、これが斬れと斬る者を選んでいる最中に、墨染めの衣袴を着て月毛の馬に乗った一人の僧が鞭を打って駆け寄ってきた。「なんと悲しいことだ、この松原の中で世にも美しい若君が北条四郎殿によって今まさに斬られようとしている」と言って、周囲の者たちが次々と馳せ集まっているので、この僧は心苦しく思い、手を挙げて注意をひこうとしたが、覚束なく思ったので着ていた笠を脱いで差し上げて招いた。

北条が何かあると待っているところへ、この僧がほどなくして馬を駆けつけてきた。僧は急いで馬から飛び降り、「若君を引き取りたい。鎌倉殿の御教書がここにあります」と言い、文書を取り出した。北条がその文書を開いて見ると、そこには「小松の三位中将維盛の子息である六代御前を見つけ出したとのこと、しかし文覚坊が暫く預かりたいとあった。疑わずに彼に預けるように、北条四郎殿へ。頼朝」と署名と判があった。

北条はこの文書を二三度繰り返し読んで「神妙、神妙」と感嘆すると、斎藤五、斎藤六はもちろんのこと、北条の家臣たちもみな、喜びの涙を流した。



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